大切な私の時間

 

 

九月も半ばを迎え、朝晩は秋を感じる涼しい風が吹くようになりました。
この夏を振り返ってみると、コロナと猛暑、それに自然災害が追い打ちを掛ける厳しいものとなりました。
猛暑は、季節の移り変わりによって緩和されてきましたが、自然災害による被害の傷痕はそう簡単には消えません。
また新型コロナウイルスの影響は、未だ見通しの立たない状況が続き、私たちの日常生活に重くのしかかっています。
例えば、夏休みと言えば花火や海水浴・キャンプなど、楽しい事が一杯詰まった楽しみな時間です。
しかし今年はコロナの影響を受け『手応えの無い夏』だったと感じた子供達も多かったことでしょう。
また、秋も運動会などの学校行事や地域のお祭り、それに各種のイベントや旅行の計画など、
子供達ばかりでなく大人にとっても楽しみな季節です。
しかしこれもまた思うようにはならないようです。『諦めの秋』となってしまうのでしょうか。
出口の見えないこの状況を、皆さんはどのように過ごしていこうと考えておられますか。
ワクチンや特効薬ができるまで、ひたすら我慢なさいますか。
 私はこう考えます。
「以前と同様の日常には戻れないけれど、そのことを愚痴っても仕方がない。だってこの時間も私の大切な人生の時間なんだから。以前の半分あるいは半分以下の取り組みになるかもしれないけれど、これでも結構楽しめるし良い時間だなあと感じられる、そんな取り組み方をしよう」と。

お釈迦様が『知足』という教えを説いておられます。知足とは『足りるを知る』という意味です。
以前と同様でなければ満足しない、と言うのであれば私の時間は『不満の時間』になってしまいます。
それでは折角の私の時間がもったいないと思うのです。
『満喫する』とは決して時間や中身の分量だけで決まるものでは無いはずです。
もう一つ、私はこうも考えます。
「社会の状況や周りの人の目を気にすること無く、自由に派手に行動している人を、殊更責めるのはやめよう。その人なりの事情があるのかも知れないから」と。
自分がこれだけ我慢して抑制的に暮らしているのに、まったくあの連中は何だ。と考えて腹を立てれば、私の時間は残念なことに『瞋りの時間』となってしまうのです。
仏教では、私たちを苦しめる三つの毒があることを教えています。その毒は外からもたらされるのではなく、自らの心の中にあるのです。
それが、貪りの心であり、瞋りの心であり、また自らの心が自分自身を苦しめていることに気づかない癡かな心なのです。

日々刻々と過ぎていく『私の大切な時間』、お互い良い時間として過ごしたいですね。