『今日、命あるはありがたし』

交通事故や災害などにより、命を落とす人のニュースを聞かない日はありません。
ところが新聞やテレビなどでそれを目にしても、普段はどこか他人事のようにしか
受け止めていません。

先日、お檀家さんが交通事故で亡くなられました。
80代半ばの高齢ドライバーで、運転操作のミスによって起きた正面衝突の事故でした。
これからお話するのは、高齢者の運転免許返納を問題にした話ではありません。

その事故は、私が運転する車の200メートルほど先で起きました。
車の台数で言うならば15台ほど前方での出来事です。
その3キロほど手前に信号機のある交差点があり、
私がそこへ差しかかった時、信号が黄色から赤に変わりました。
無理すれば通過も可能でしたが、その時私はブレーキを踏み、停止線の先頭に停止しました。
青信号になった側の車が次々と発進して行きます。その先頭を大型バスが走っていきました。
後に判ったのですが、実はそのバスにお檀家さんの車は衝突したのです。
ほんの数秒の僅かな差で、私がバスの前に走るか、15台ほど後ろになるかが変わったのです。
車の速度などが違うので結果が同じになったとは言えませんが、
そのことを振り返りながら、私がこうしていま無事でいるのも当たり前ではなく、
たまたまの巡り合わせによるものなのだと改めて感じました。
今日、日本人の平均寿命は男女の違いはありますが、概ね80代半ばです。
しかしその 平均寿命を保証されている人は誰一人いないのです。

例えば《ガンになる可能性が何%》というデータ上での話も、
私にとってはガンになるかならないか、つまり《0%か100%》なのです。
命の事情は人それぞれ個別に違います。ですから自分の命の見方は
『いつ、どうなるか判らない不安定な命である』と見るべきではないでしょうか。
体の丈夫な人や健康に気遣う人が長生きするとは限りません。
来月11日、あの東日本大震災から丸10年を迎えます。
地震や津波により多くの人たち が命を落とされました。
健康や体力や年齢に関係なく命は無くなってしまいました。
不用心で落ち度のあった人だけが亡くなったのでもありません。
そのように考えると、私たちの命が今日無事に保たれているのは、
不思議な巡り合わせによるところが大きいとも言えます。
もちろん健康や安全を心掛けて暮らすことも 私たちの命を支えてくれています。
しかし、それは絶対ではないのです。これを仏教では《常では無い》と書いて「無常」と言います。
このことを“頼りなくて残念”と受け止めるのではなく、この不安定な命が今こうして無事に
保たれていることを大切に思い、有り難い時間として生きてゆこうと考えるのです。
新型感染症による困難が続く中ではありますが、
「今日、命あるは有りがたし」との思いで、大切な自分の時間を過ごしたいものですね。