戒を身につけ、行っていく

 

私が副園長を勤めている保育園では、毎月誕生会が開かれています。
その月、誕生日を迎えた園児たちが、みんなの前で将来の夢を発表します。
「僕は、サッカー選手になりたい」「私は、ケーキ屋さんになりたい」
子供たちには色々な楽しい夢があります。これからの学び、努力、行動によって、
その夢はかなえられていくのでしょう。私は、そんな子供たちの夢をいつも楽しく聞いています。
もちろん、大人の私たちも何にでもなることができます。私たちは、
自身の「行い」によって何にでもなれる存在なのです。私たちは「
行い」によって仏さまにもなれるのです。その行いの道しるべ、指針となるのが「戒」なのです。
毎年春には、大本山永平寺と大本山總持寺で授戒会が開かれ、多くの方々が参加されています。
授戒とは、漢字で書きますと、戒を授かると書きます。お釈迦さまから受け継がれてきた戒を、
弟子である私たちがいただくわけです。戒をいただいたから、私たちが直ぐに仏になる
というわけではありません。戒を自分の中心に柱として据えて、一日一日を過ごしていく。
戒をいただいたのなら、行っていくことが大切なのです。

大本山永平寺で西堂というお役を務められた奈良康明老師は、
「戒とはしつけ糸のようなもの」と例えてお話しになりました。
しつけ糸とは、一般的に「新調した着物の型崩れを防ぐため」のものです。私たちは、
本来、仏の性質を持っています。しかしながら、様々な要因により左右に傾いたり、
曲がってしまったり、自分を見失いそうになります。しかし、この戒をしっかりと意識して、
自分の生き方として身につけ、行っていくことで、私たちはぶれることなく歩んでいくことができる。
戒とは、私たちが身につけなければならない、お釈迦さまから受け継がれてきた、
自発的に行う良い行いなのです。

そうは言っても、日常のなかで行っていくことは難しいものです。時にはつまずいたり、
くじけそうになることもあると思います。私たちはお釈迦さまのみ教えを
拠り所とする仲間として、互いに寄り添い、助け合いながら、共に手を携えて生きていく。
日日の歩みのなかで、お釈迦さまのみ教えを共に行っていきたいものです。