鎬を削る

先日、久方ぶりに、包丁のお手入れをしました。
修行時代に、「典座寮」というお台所をあずかっていたころには毎日のように
使っていた和包丁なのですが、暫くしまいこんでいるうちに、うっすらと垢や錆がういておりました。
きちんとしまっておいたつもりでしたが、気付かぬ汚れもあったのでしょう。
そこで、お手入れをして、研ぎ直す事にしたのです。

平面に調えた砥石に水をうち、黙々と刃先を調えていると、静かな台所に
融けてゆくようなスルスルという音とともに不思議と心も落ち着き
調ってゆくように私は感じます。
丁度、坐処を調え、身姿を調え、呼吸を調えているうちに、心も調ってゆく、
そのような坦々とした坐禅の様子にもどこか似ているかもしれません。

さて、和包丁というものは片刃になっているのですが、その刀身の中頃の少し
高くなったところを「鎬(しのぎ)」といいます。
この鎬の線というものがきちんと調っていなければ、刃先が乱れて歪になり、
いくら研いでも良い刃はつきません。そこで、きちんと手入れをする際は、
鎬を削って調え、刃先の線、刃道を調え易くします。
こうしておくことで普段使いのお手入れがぐっと楽になるのです。

「鎬を削る」という言葉を辞書で調べてみますと戦国時代に
「互いの刀の鎬を削りあうような激しい斬り合いをする」様子から転じて
「激しく争う」ことをさす言葉とあります。しかし、実際に包丁を研いでみますと、
「鎬を削る」というのは、それとは気付かないうちにいつのまにか
刀身についてしまった汚れや錆を点検し、磨き上げ、
次の活躍に備える時にこそなのだということに気付かされます。

withコロナと言われる時代にあって、だれもが様々な困難に直面しています。
人と人とのふれ合いというものがとても歪なものに感じるようになった方も
多いのではないでしょうか。

歪にいがみ合うのではなく、お互いに鎬を削って、
それぞれに自己を調える 良い修行の時節にしたいものです。