戦没者慰霊祭
先月、わが町延岡市北方町の戦没者慰霊祭が執り行われました。
コロナ禍の最中にも関わらず、慰霊碑の前には町在住の約四十名程のご遺族が参列され、
私は僧侶として法要の導師を務めさせていただきました。
現在、人口四千人足らずのわが町ですが、慰霊碑に刻まれている戦没者の数は五百十八名に上ります。
この中には日清日露の戦役やシベリア出兵の戦没者も含まれますが、やはり大部分は
太平洋戦争の戦没者であり、戦争末期の昭和19年から20年にかけてが最も多く、戦没場所も、
フィリピン、ニューギニア、ソロモン、満州、中国、シベリアと全戦域に及びます。
私は法要中に、約三十分程かけてこの五百十八名のすべての戦没者の名前を
読み上げさせていただきました。
ご遺族によると全戦没者の名前の読み上げは初めてのことだったといいます。
わが町では毎年のように遺族会の存続について議論されます。
ご遺族、特に遺児世代の平均年齢が八十才近くなった今、少子高齢化の進む地方においては、
その記憶を受け継ぐべき孫の世代の多くが遠い都会に暮らしています。戦没者慰霊祭はまさに風前の灯火です。
あるご遺族がおっしゃいました。
「私は父を南方で亡くし、戦後の貧しい時代を母と二人で過ごしました。
その日の食べる物にも苦労した時代でしたが、母は私によく“貧しいことが恥ずかしいんじゃない。
心が貧しいのが恥ずかしいんじゃ”と言い聞かせてくれました」
また、あるご遺族はこうおっしゃいました。
「日本人が特攻隊を忘れることはないでしょう。しかし彼らはエリートであり、
志願兵です。私たちの父や兄弟は違う。教育も受けず、行先も知らず、
満足な装備や食料も持たずに戦地へ送られました。それでも一言も文句も言わず
故郷を代表して出征していきました。もし、私たちが彼ら“召集兵”の慰霊を辞めたら、
このまま故郷からも忘れ去られるんじゃないでしょうか」
慰霊や供養で最も大切なのは「行の供養」だと言われます。
行の供養とは「自分を供える」供養です。先祖や今は亡き大切な家族の命を鏡として、
今の自分を振り返ることです。
「今の自分は一生懸命生きているだろうか」「幸せに生きているだろうか」
「恥ずかしい生き方をしていないだろうか」
戦没者慰霊祭は、悲劇の歴史の中で犠牲になった彼らの冥福を祈ると同時に、
私たちの心の貧しさが彼らを二度死なせることがないように、彼らが遠い異国で夢に見たであろう
故郷に暮らす私たちの生き方が問われるのではないでしょうか。