老成

古い川柳に

『朝起きて 夕べに顔は 変わねども 何時の間にやら 年は寄りけり』

と詠まれていますが、近ごろ本当にその通りだと、実感するようになってきました。

庭掃除をするにも、以前は一気にやり終えていた場所も、
休憩を入れるようになりました。
ふと鏡に映った顔を見てみると、鼻の穴から白い毛がこちらを覗いています。
昔から「年をとると涙もろくなる。」といわれるように、
何気なくテレビを見ていても、感動して胸がいっぱいになる事も増えてきました。

なぜ人は、年齢を重ねると涙もろくなってくるのでしょうか?
医学的に一応の解明は、されています。老いによる脳機能の低下により、
感情を抑える事が出来なくなっているそうです。

しかし、本当にそれだけが原因なのでしょうか?「老」という字を辞書で引くと、
【年をとる】という意味以外に、【経験を十分に積む】ともあります。
年をとるという事は、数え切れぬほど、多くの喜び、悲しみを味わったという事に
ほかなりません。その経験を通して、物事をより深く感じ取れるように
なっていくのではないでしょうか?
だからこそ、若い頃には無頓着だった出来事にも共感し、心が揺さぶられる事が
増えてくるのでしょう。

「アンチエイジング」という考え方が広まりをみせ、生活の中に取り入れて
暮らしている方も増えてきました。たった一つの命を、健やかに保つためには
とても重要なことです。私も、食事の時はサラダから食べるなど、
普段から心がけている事も沢山あります。しかし、いくら努力を重ねても
生きている以上「老い」そのものから逃れる事はできません。

体力、記憶力などの身体的な機能は年齢とともに、徐々に低下していくでしょう。
しかし、その事をアンチ、つまり嫌うばかりでは悩みが尽きることはありません。
老いも自分の大切な人生の一部として、素直に受け入れ歩んで行く
「ウィズエイジング」という考え方も、認識されはじめ多くの方が
実践なさっています。

お釈迦様は、
『移ろいゆくものにとらわれず、今をよりよく生きよ。』
と私たちにお示しされています。

ときには、これまでの歩みで得た経験や出会いを見つめ直すのもよい事でしょう。
若い頃には気が付かなかった、新たな「感謝」の発見がきっとあるはずです。
皆様の「老」が、より豊かなものと成りますようお祈りいたします。