一大事

今日は「一大事」という言葉についてお話しさせていただきます。

「一大事」というのは、このまま放置していてはいけない、重要な出来事という意味で、
「お家の一大事だ」「国の一大事だ」というふうに使われますね。
みなさんにとっては、たとえば受験や就職、結婚、病気など、
人生の大きな出来事で使うことが多いと思います。

実はこれはもともと仏教用語で、お釈迦さまが世のもろもろの人々に
智慧を悟らせて救済しようとする、その大きな仕事のことを「一大事」といい、
そのためにお釈迦さまがこの世の中に現れることを
「一大事因縁を以ての故に世に出現す」と表現したりします。

さて、この夏は連日の暑さとともに、長雨が続きました。
境内の樹木や雑草も、雨や日光という自然の恵みを受けて、とても早く伸びていきました。
うちの寺の境内には、枝分かれして隣の敷地にまで長く伸びていく大きな
バショウの樹が何本もあります。伸びたなあと思ったときにまとめて伐採しているのですが、
「ここまで伸びる前に伐ってたらごみ処理も楽だったな」とつい思ってしまいます。
伐っても伐ってもすぐ伸びる、その成長のスピードには驚かされます。
この大きくなった幹や葉を目の当たりにして、一体これのどこに
成長のエネルギーが宿っているのだろうと、いつも思います。動物の命だって同じです。

わたしたち人間の体も、水素や酸素、炭素などの気体から、カルシウムやマグネシウム、
鉄、亜鉛などの固体に至るまで、多くの種類の原子が無数に組み合わさってできており、
それが生きるエネルギーを生み出しているんですね。
食べたり飲んだり、運動したり排泄したり、日々の生活の営みの中でそれぞれの
原子の数や割合も微妙に変化することでしょう。
命の働きとはじつに不思議なものと実感いたします。

お釈迦さまはすべての人々を幸せにしていくためにこの世に出現されました。
同様に、わたしたちも貴重な因縁をもってこの世に命をいただきました。
わたしたちにとって、「一大事」とは何も特別なことではありません。
「生きる」ことが何よりの「一大事」です。お仕事をしたり、炊事や掃除などをしたり、
勉学に励んだり、ボランティアをしたり、その立場や役割によって違いはあるでしょうが、
しなければならない大切なおつとめがあると思います。

誰しも若くて元気なうちは「生と死」の意味を深く追求することを忘れがちですが、
やがて生きる縁が尽きて命も終焉を迎えます。今、この時こそが一大事です。
一日が終わったとき、今日も良き日だったと振り返ることが
できるよう、日々を充実させてまいりましょう。