人の話を聞く「愛語」

今回、人の話を聞く「愛語」ということでお話をさせていただきます。
愛語とは四摂法の中の一つでやさしい言葉をかけるということです。
四摂法はほかに布施、利行、同事があります。
修証義の第四章発願利生では、
『衆生を利益すというは四枚の般若あり、
一者布施、二者愛語、三者利行、四者同事、是れ則ち薩埵の行願なり』
と述べています。
わかりやすく言うと、人々の幸せを願う生き方には施しをする、
やさしい言葉をかける、手助けをする、
自分のこととして考えるという4つの徳目があり、
これを行うことこそが仏道に生きる者の修行や誓いであるということです。

私は愛語、やさしい言葉をかけるとは、どのように
相手と円滑なコミュニケーションをとるか、ということではないかと思います。
私は出家する前、11年間某スーパーマーケットでサラリーマン生活を送っていました。
お客様やパート従業員、学生アルバイトというそれぞれ立場の違う人と
円滑なコミュニケーションを取る上で、大切だと感じたのは傾聴です。

傾聴とは相手のいうことを否定せず耳、目、心を傾け相手の話を聴く会話の技術のことです。
やさしい言葉をかけるという行動とは正反対のような気がしますが。
実はそれだけではなく、人との会話の中を通して気持ちを理解し共感することが重要になります。
その結果、相手との信頼関係の構築や自分自身を知ることで
感情コントロールなどの精神的成長を促すきっかけになるとされています。
傾聴の特徴としては受容と共感の二つがあります。
受容とは相手の話を受け入れること。共感とは話を聞いてその通りだと思うことです。
実践してみるとわかりますが、ただ聞くだけといっても相手が話していることに
異論をはさまず聞くという行動はなかなか難しいことです。
私はおしゃべりなので、相手の話を聞かなくてはと思い会話をしていても
思わず相手の話をさえぎってしまい、自分がしゃべっているという状況になってしまい、
後でしまったと思うことが少なくありません。

この手法は一対一の場面で使われることが多く、今回のように法話などの一対多という
場面において話す内容ではなく趣旨からいえばおかしいのかもしれません。
しかし、相手を理解することができない人に、
やさしい言葉をかけてあげることなどできないのではないかと思います。

仏道とは人々の幸せを願う生き方であり。それを実践するためには
円滑なコミュニケーンを図り相手を理解する必要があると思います。
愛語を実践するために傾聴する、人の話に耳を傾ける
ということを試みてもよいのではないでしょうか。