「知足」

今回は知足(ちそく)という御教えについて少しお話をさせていただきます。
皆様は知足という言葉をご存知でしょうか。
少欲知足などというように使われることも多い言葉ですが、
知足とは知識の知に手足の足と書いて知足(ちそく)と読みます。
意味としては、字の通りでありますが、足る(たる)を知るということです。

私たちは日頃からあれが足りないこれが足りないと思ってしまいがちです。
では、足りないと思っていたもの、求めていたものを得られるとどうなるのでしょう。
きっと多くの方が「幸せになる」とお答えになられるのではないでしょうか。
ただ、その時は幸せと感じていても、時がたつにつれ知らず知らずのうちに
その時感じた幸せを忘れ、また次の幸せ(更なる幸せ)を探し求めてしまう。
私も含め多くの人がその繰り返しで人生を送っているのではないでしょうか。

ここで知足という言葉に戻ってみましょう。
お釈迦様はなにも幸せを求めることが悪いことだと説かれているのではありません。
次から次に自分の欲にとらわれて、自分勝手な幸せを追い求めるのではなく、
まずは今すでに足りている(幸せである)ということを
しっかりと知りなさい(自覚しなさい)と説かれておられるのです。

お釈迦様がお示しの通り、私たちがついつい当たり前だと思ってしまう
日々の生活の中に幸せがあり、日常それ自体が幸せなのです。

日常そのものが幸せであると自ら気づき、知足の教えを常に頭において生活が
できることは素晴らしいことです。
しかしながら、今回のコロナウイルス感染症においてもそうですが、
私たちは困難な状況に陥ってから、あの時は幸せだったのだと気づかされることが
多くあります。大切なのは、この気付きを忘れずに生きるということではないでしょうか。

一人でも多くの方に「あれもできないね、これもできればいいのにね」ではなく、
「あれができて幸せだね、これができることがありがたいね」
という思いで生活をしていただければ幸いでございます。

永遠に続くことは無いそれぞれの人生、私自身は未熟者であると重々承知しておりますが、
曹洞宗の宗門僧侶として、お釈迦様の「知足」のお示しが皆様方の人生を
心豊かなものにしてくださることを信じ、
皆様方お一人お一人がこれからもより良き人生を送っていただけることを切に願っております。