春の門出に

爽やかで清々しい春風も終わりを告げ、太陽が燦々と降り注ぐ季節になりつつありますね。
自然を見渡すと、ついこの間まで様々な色とりどりの花たちが、
風を浴び踊るように揺れていたのに、徐々に新しい緑の葉をつけた木々たちが、
また新たな風景を私たちに見せてくれています。
今年の春休みの時期も、いろいろな「いってらっしゃい」と「おかえり」がありました。
今日はその「いってらっしゃい」をお話しします。

私の居るお寺では、毎日お檀家さんのお宅へ月参りに伺っています。
春休みシーズンのある日、いつものようにあるお檀家さんのお宅へ伺うと、
普段は中学校へ通っていて居ないはずの女の子が、
真新しい高校の学生服に身を包み私が来るのを待ってくれていて、
祖父母の方とご両親と一緒にお参りをしてくれました。お参りが済んでお茶をいただきながら、

「どこの高校へ進むことになったの?」

と私が聞くと、

「はい、〇〇高校です!」

と返してくれました。
私は驚きました。彼女が進学する高校は、県内でも一・二を争うほどの有名な難関校だったのです。
今回はどうしてもその高校の入学式を迎える前に新しい学生服を着て、
小さい頃からずっと可愛がってくれていたお仏壇の中にいらっしゃる
ひいおばあさまへ報告がしたかったのだと、彼女は話してくれました。
その顔、その瞳の奥には、もちろん喜びの表情が伺えました。しかし新しく入る学校、
ましてや相当な倍率を争って勝ち取った県内でも優秀な人たちが集まり、
これからその同級生たちと共に学び、
競い合っていくことへの不安と緊張が見えていました。

しかし、私は「この子ならきっと大丈夫だな」と一目見て思うほどに、頼もしく活力溢れた
なんとも表現できないようなキラキラした目をしながら、私に学校や受験勉強のこと、
ひいおばあさまのことなどいろんな話を教えてくれました。
そのお宅を後にして以降、その子とは会ってはいませんが、
無事入学式を迎え、彼女の新たなスタートが切られたことでしょう。

私たちは大人になっていくにつれて、
結果や周りからの評価をものすごく気にするようになっていきます。
中国の禅の言葉に「春になると様々な花が咲き誇る。
この花々は一体誰の為に咲いているのだろう」という言葉があります。
野や山に咲く花は、ただ自分の役目を精一杯努めているだけで、
周りからの評価や「こうだったらいいのに」という
羨望の気持ちなど持たず一生懸命に咲いています。
これは、なかなか一つのことに無心に打ち込めない私たちにとって、
とても大切なことを教えてくれています。

誰のためでもなくありのままに一生懸命咲く姿に、私たちは本当の美しさと尊さを見るのです。
私は彼女の話を聞いていて、「学生である自分がやるべき、ありのままの精一杯」というものを
見たようで感動しました。
そしてその中にある苦労を聞きました。
それでも挫けず、勉強に対して無心に打ち込んで勝ち取った姿に、
美しさを見ることができたのです。
たくましく前向きな目をした彼女の話を聞いていて
自分が恥ずかしくなるほどしっかりした学生でした。

私はこれからつまずいてでも大きく羽ばたいていくであろう彼女に対して、
ささやかながらこの禅の言葉のエールを贈ります。

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