「日々の当たり前に感謝」

私たちの日常生活は、利便性の追求により、便利な物で溢れています。
ところが、最初は便利だと思っていても、徐々に「有って当たり前」になり、
便利さや有難さを感じなくなってしまいます。
当たり前が如何に有り難いことか、私が実感した出来事をお話し致します。

昨年の夏、豪雨によってお寺の裏山が崩れ、私が生活している建物に土砂が押し寄せ、
泥や倒木が家の中まで入ってきました。
幸いにも家族への被害もなく、水道や電気も使うことが出来ました。
しかし、屋外に設置していた給湯器が土砂によって壊れ、
数日間お湯を使うことが出来ませんでした。
お風呂に入ることも出来ませんし、台所仕事にも支障が出て、非常に不便を感じました。
また、暫くは、「いつまた崩れてくるかもしれない」という不安と恐怖を抱える日々が続き、
何気なく安心して生活している日常が、如何に有り難いことか実感させられました。

また、平成二十八年に起きた熊本地震に、炊き出しボランティアとして参加した際、
ある被災者の方が、
「とても温かい、ありがとうございます。」
と満面の笑みで食事を受け取られました。
避難所生活では、温かい食事を摂る事も困難なのです。
普段当たり前に頂いている温かい食事も、実はとても有り難いことなのだと感じました。

曹洞宗の開祖道元禅師様が修証義というお経の中に、
《人身得ること難し、仏法値うこと希なり》と示されています。
《今こうして、人間として生まれてきたのも、また仏教の教えに出会えたことも、
当たり前では無く、様々な縁に恵まれたからに外ならないのである》ということです。
今あらためて「有り難い」という意味をかみしめています。

コロナ禍によって、今まで当たり前に行っていたことや、
当たり前に会っていた人とも会えなくなったり、制限された現実の中で
「当たり前は有り難い」と実感されているのではないでしょうか。

日常の当たり前に感謝し、「ありがとう」と思うことが、
時間や物や相手を大切にする心となってゆき、延いては豊かな人生に繋がっていくのだと思います。

日々の当たり前の安心に「感謝」です。

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