「何度でも言える言葉」

今回は僧堂で修業させていただいた時に私の中で金言になった
言葉についてひとつお話させていただきます。

私が横浜の総持寺というお寺で修業をさせていただいた時の事でございます。
そこの修業僧堂では老師、つまり修行僧の先生になる方と一緒に二人で夜、
寺の中を巡回警備するそんな割り当てがありました。
一介の修行僧である私にはご老師とまともにお話する場面というのはなかなか無いので、
これは直接ご老師と会話できる数少ない機会でありました。

夜に暗いお寺の中を懐中電灯を持って巡回するのですが、
その時に一緒に行動したご老師と言うのは法話もすばらしく、
いつも優しく接してくださる私の尊敬するご老師とでしたので日頃の疑問に思うことや、
ちょっとした雑談などをして歩いていました。

その雑談の中で私はこんな話をしたのです
「老師、以前私が学生の頃の学校の先生がこんな話をしてくれたんです。
その先生の菩提寺の住職さんは法事の法話がいつも同じらしく
檀家さんはみんな住職さんの話を覚えてるんだそうで、
法話を聞くたび『またあの話なのか』と思うそうなんです。
さすがにそんなに同じ話を繰り返さなくても良いんじゃないかとそんなふうに思うんですよね」
と冗談もまじりあうような話の中から出た会話でしたがご老師はこう言われたのです
「いや… 本当に大切だと思う事ならば何度言ったっていいじゃないか」と。

法話の達人であるご老師ならばなるべく色々な話をするべきとの答えが
返ってくると思っていたので面食らってしまうと同事に
「確かに。 本当に大切だと思うことなら何度言ってもいいじゃないか」
と自分の浅はかさを深く反省した次第です。
この老師とのやりとりは私の修業僧堂時の大切な宝の言葉として心に深く刻まれております。

さて横浜の総持寺から離れ自坊、つまり自身のお師匠がいるお寺に帰ってから
法事などでお参りに行くとお檀家さんから雑談の中でこのような話が出た時があります
「和尚さん私は毎日朝、仏壇に般若心経をお唱えしているんですけど
こんなに毎日同じお経で大丈夫なんかなって思ったりするんですよ。
かと言って和尚さんみたいに難しいお経は読めんし仏様は同じお経に飽きんのかな?」
とそう問われると私はこう答えるのです
「お経は仏教の大切な教えの結晶ですから、
そんな大切な言葉なら何度言ってもいいじゃないですか」
とそういうとお檀家さんは「確かにねー」と笑ってまた雑談に戻るのです。
ひょっとしたらこのお檀家さんのように「毎日同じお経で大丈夫かな?」と
お思いの方がおられるかもしれないと今回この話をさせていただきました。

最後までのご清聴ありがとうございました。