「不妄語戒」

仏教には守らなくてはならない約束事が数多くあります。
それを、「いましめ」という字を当てて、戒(かい)と呼んでいます。
その戒の中でも、特に守るべき10の約束事のことを、
漢数字の十に、重たいという字、それに禁止の禁、そして戒めの戒という字を書いて、
「十重禁戒」と呼んでいます。
今回は、「十重禁戒」のうちの一つであります「不妄語戒」についてお話をさせていただきます。

不妄語戒というのは、「噓をつかない」という戒(いましめ)です。
嘘と一言で言っても、世の中には、嘘も方便という言葉があるように
悪意のない嘘と悪い嘘とがあると思います。
今回は特に悪い嘘に焦点を当てて話をしたいと思います。

「良くも悪くも正直でありなさい」

この言葉は、私が大本山永平寺での修行を振り返ってみて一番心に残っている言葉です。
この言葉を聞いて皆さんは、「そんなの当たり前のことじゃないか」
または「それくらい子供だってわかるよ」と感じるかもしれません。
しかし、自分の過去の過ちを、正直に謝ることができず、
パッと思いついた嘘でその場だけでも乗り切ろうとした経験はありませんか。
以前、私は嘘によって、自分も周りの人も傷つけてしまった経験があります。

私がまだ小学生の頃、昼休みに校庭で友達と遊んでいたときのことです。
私が投げたボールのせいで窓ガラスが割れてしまったことがありました。
すると、当時一番怖い男の先生が現れ、誰が窓ガラスを割ったのかと、私たちに問いました。
本当なら、ここで正直に
「僕がやりました。ごめんなさい。」
というべきなのですが、
私はその先生に怒られるのが怖くて、友達のせいにしてその場を逃れようとしてしまいました。
でも、結局はその嘘も先生にばれ、余計に怒られましたし、
その嘘をなすり付けられた友達は、私がいくら謝罪をしても一週間くらい口をきいてくれませんでした。
また、私自身も嘘をついてしまったことをとても後悔しました。
その時の私は、その場しのぎの嘘をついたために、
先生とその友達の信用を失ってしまっただけでなく、自分のことも嫌いになってしまったのです。
もし、最初から正直に謝っていれば、先生からも怒られなかったかもしれないし、
何より友達と仲が悪くならずに済んだことでしょう。
この経験から、「嘘をつかない」ということは、周りの人だけでなく、
自分ことも大切にするこのだと感じました。

そして、永平寺での修行を通して、正直であることの大切さを再確認することができました。

「良くも悪くも正直でありなさい」

日常生活を送るうえで、自分や自分の周囲の人に嫌な思いをさせないために、
常に正直であることはとても大切なことです。
仏教を信仰する者として日頃より心がけたいものですね。