「真っ直ぐに向き合う」
曹洞宗大本山永平寺の修行は、もっぱら坐禅です。朝起きて坐禅に始まり。一日の終りに坐禅を行じます。滝修行や火渡り、断食などは行いません。ただ足を組んで、思いを巡らさず、真っ直ぐな姿勢で静かに坐り続ける。右にも左にも傾かず。与えられたこの瞬間に徹する。不安や心配、沸き立つ欲望も一度置いて。ただそこに真心を表します。真心とは、即ち仏様の心。仏様のお姿と、お心を表す。それが曹洞宗の修行。坐禅です。
本来、私たちの心は清らかな水の如く澄んでいます。それは仏様の心と同じで、誰しも邪な心を持って生まれてくる人はいません。仏様の心とは、物事を素直に受け止めることのできる真心を言いますが。私たちは、既にその心を頂いてこの世に生を受けているのです。ですが日々生活を送っている中で、次第にその心に曇りがかかってしまうことがあります。その曇りとは、選り好みをしてしまう分別の心から発生し。これは好きで、あれは嫌い。人それぞれ分別の感情が曇りとなり邪魔をして、物事の本質を正しく見つめることができなくなります。例えば本来、植物自体に綺麗、醜いなんてないはずです。植物は植物であり。雑草と認識するのは人間の都合であります。植物に限らず、私たちの目の前に広がる全ての事象がそうです。綺麗、醜いと決めているのは、自分自身。分別の心なのです。好きな物には欲望が沸き立ち、嫌いな物には嫌悪感を抱いてしまう。偏りのある物の見方。右に左に傾いていると心に落ち着きは訪れません。坐禅とは、そんな分別の心からなる迷いの曇りを払拭する修行です。そのためにまずは、一切の考えを止めてみる。坐禅に徹するその姿勢が沸き立つ心を静め、心に曇りをかけません。即ち、坐禅の姿が悩み苦しみのない真心。仏様を表すのです。それが坐禅の意義であります。
また、坐禅を続けていれば次第に日常生活でも坐禅の精神が表れてきます。物事に対して真っ直ぐに向き合うようになり。与えられた今を丁寧に過ごすよう心掛けるようになるのです。坐禅と向き合う中で、その瞬間を味わう事の出来る幸せを知ります。最後になりますが、もし不安に押し潰されそうな時には、身も心も真っ直ぐに調えてあげましょう。テレビもスマホも切って静かに足を組みましょう。そのように日々、自分と向き合う姿勢が心を安心へと。心落ち着く場所へと誘ってくれるはずです。是非、皆様もお近くの坐禅会に参加をして。真っ直ぐな時間をお過ごし下さいますと幸いです。