生かされている今を

本日は「生かされている今を」というタイトルでお話をさせて頂きます。

「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな智慧をもって観る時に、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。これはお釈迦様が残してくださった大切な御教えの一つであります。我ならざるものとは、私のものではないということです。つまり、諸法無我(一切のもの(全て)は私のものではない、思い通りにならない)という、この世の真理をしっかりと自分の中に取り入れることが出来た時、ひとは苦しみから遠ざかり、心が静まり安らいだ状態となるのである。これが涅槃への道である。ということになります。

諸法、この世の全てが無我、私のものではない。思い通りにはならない。確かに天気等の自然現象は思い通りにはなりません。時間もそうです。時の流れに逆らって昨日に戻ったり、一足先に明後日に行ったりなどということは叶いません。他人もそうです。親友であっても家族であっても、他の人は私のものではない、思い通りにはならない。

では、自分はどうでしょう。自分自身が自分の思い通りにならない。考えたことはございますでしょうか。四苦八苦という言葉、一度は耳にされたことがあるのではないかと思います。どうしようもない状況の時に使われる言葉ですが、元々は仏教用語です。この四苦八苦の四苦、生老病死、生まれること、老いていくこと、病むこと、そして死んでいくことにおいては、間違いなく自分でも自分自身が思い通りにはならないのです。

それでは、諸法無我、思い通りにならないこの世の中において私どもはどのように生きていくのか?

それは、今、この瞬間を大切にし、その時その場と全力で向き合うということです。仕事をする時は仕事をする。食べる時は食べる。寝る時は寝る。その時その時、ありのままと向き合い務める。そういう生き方を実践することが出来ればこの上ない生き方と言えるのではないでしょうか。

日々の生活の中でこの生き方を忘れないようにするため、まずは機械的であっても結構です。一日の始まりに心を落ち着けて自分を見つめる時間を作っていただければと思います。そうすることで、今、生かされている自らの命をしっかりと深く受け止め、今日を生きる一日の良いスタートとしていただけたら幸いでございます。