吐く息をおなじにすること

私どもが日頃お勤めしております.修証義というお経に『同事というは不違なり、自にも不違なり、他にも不意なり』という一説がございます。同事とは同じに事と書いてどうじと読みます。『事を同じにする事』この事とはご自身の行いや立ち振る舞いのことです。

その行いや立ち振る舞いを同じにする事とは、例えるのであれば小さな子供と目線を合わせて相手にも判るような言葉遣いで話をするような事です。このように相手の立場や姿に合わせる行い、相手と自分との間の垣根を無くす行いを同事と言います。

様々な考えや環境の違いの中で、相手の立場に合わせることはとても難しい事かもしれません

。ですから先ずは自分自身が多くの縁の中にあることに気づく事、そしてその多くの縁の中で自分自身に何が出来るのか考える事がこの同事というみ教えに繋がっていくのです。

私事で恐縮なのですが、少し私のお話をさせて頂きたいと思います。今年度新たに中学二年生になる娘は吹奏楽部に所属して日々練習をしているのですが、この春の時期になりますと、部内のパートの再編成や卒業式や入学式などの練習でとても忙しくなるそうです。この事が関係して私も色々な演奏を聴きに行く機会を持つようになったのですが、何度も聞きに行くうちにあることが気になり始めました。それは演奏が始まる時必ず同じタイミングで息を吸いそして吐く息の合ったきれいな音が出る事。吹奏楽ですから息を吸わなければ楽器の音は出ないのは当たり前だと言われればそうなのですが、最初の一音を合わせるために大切な事は、お互いの呼吸や瞬きですら合わせ一つにするということだそうです。そのために何度も何度も音を出し、何度も何度も息を合わせる練習をする。その積み重ねが聞く人に感動を与える一つの音・メロディーとなるのでしょう。

今年の冬もとても寒い日が続きました。寒かった冬の時期も過ぎ春の訪れを感じるこの頃、自宅の窓から外を眺めますと茶色や灰色ばかりだった冬枯れの景色から、淡い緑や白やピンクの花々が私たちの目や心を楽しませてくれます。若草や梅の花。桃や桜の花が咲く暖かな春の訪れを楽しむ一方で寒々しい冬を懐かしんでいるこの頃、春は卒業や入学、進級や新入社や転勤、年度変わりなど新たな区切りやご縁、楽しい事や迷いに出会う機会が多くなります。期待も一杯、同じ様に不安も一杯に新しい環境に進む方々、それを見守る方々も同じ様なお気持ちで日々をお過ごしではないでしょうか。

様々な考えや環境の違いの中で、相手の立場に合わせることはとても難しい事かもしれません。ですから先ずは自分自身が多くの縁の中にあることに気づき、その多くの縁の中での自分自身に何が出来るのか考える事。

出会いの中で大切な事はお互いの心を思いながら接する事。お互いに息を合わせながらこれからの一日一日を過ごす事です。その一日一日の積み重ねが聞く人に感動を与える一つの音・メロディーその生き方となっていくのでしょう。