本当に大切なもの

私の住んでいる熊本県天草には、全国でも珍しい神道・仏教・キリスト教が一つになった一冊の御朱印帳があります。これは、二〇一八年に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として世界文化遺産に登録されたことを記念して始まりました。登録されて以降、数えきれないほどの観光客が天草を訪れ、スポットである﨑津天主堂界隈では連日賑わいを見せています。

しかし、そんなめでたい背景の裏には、悲しい歴史も残っている、それが潜伏キリシタンなのです。

今からおよそ四〇〇年前の天草では、ポルトガル人により、キリスト教が広く布教されていました。キリシタン信仰者となった人たちを仏教徒に改宗させるため、江戸幕府が本格的に弾圧を始め、たった数年で天草各地にたくさんの寺院が建てられることになりました。私たちが歴史の教科書で教わった「踏み絵」が実際に行われており、拒めば死罪となっていた場所がこの天草なのです。そのような悲しい出来事が日々行われている中、人々の仏教徒への改宗が進んでいきます。しかし、改宗させられた彼らの心の中にはやはりイエス様がいらっしゃるのです。その心を汲んだ当時の僧侶たちは、幕府の役人に発覚されないよう改宗していない人々も含め、秘密裏にお寺に呼び込み、密かにミサを行なう時間と場所を提供していました。表面上は観音様、百八十度回せば背中に十字が切ってある「マリア観音」は、天草では有名な当時の信仰の対象です。もちろんこのようなことが見つかってしまえば僧侶共々極刑に罰せられることは言うまでもありません。それでも当時の天草の人々は、それぞれの抱く信仰の尊さを、深く大事にしていらっしゃったのでしょう。そして共に支え合い、互いを尊重し、共に生きていく心を持っていらっしゃったのだと感じずにはいられません。

現代を生きる私たちはどうでしょう。あまりにも我れ先に、あるいは自分さえ良ければと強く思う人が、世の中に溢れてしまっているような気がして止みません。SNSなどを見ても、救助を求めている人がいるのに助けもせず、スマホで撮影している人、平気で心無い中傷ができる人がとても多いように思うのです。また、金銭至上主義者が増え、「本当に大切なもの」を忘れてしまっている人が多いのも、「現代人の特徴」となってしまわないか懸念を抱いてしまいます。

四〇〇年前の当時、キリシタン信仰者を見つけて幕府に差し出せば現在の価値で数千万円の報奨金が与えられたそうです。にも関わらず誰一人として幕府に密告や差し出しをするような人はいなかったのです。当時の人々は、自身の利益よりも人のいのちと他者への尊厳を何よりも最優先にしていたことがしみじみと伝わってきます。この小さい島の天草では神道・仏教・キリスト教が、互いに尊重し合い、いがみ合うことのない、共に生きることを選択し、現在でも仲良く生かし合いの実践を行なっています。

当時の僧侶たちが発心し、また島民が他を思いやることを忘れない教えを実践したからこそ、現代の私たちに「本当に大切なもの」を教えてくださっています。それぞれの宗教の下に御恩を忘れず、今日も天草の人々は皆幸せに暮らしています。