まる
私の住んでいる佐賀県は、焼物が有名でございます。
毎年ゴールデンウイーク期間中には、全国から約100万人が訪れる有田陶器市が有田町にて開催され、毎年賑わっております。
私も数年前、ろくろの体験をする機会があり、自分で焼物を作ってみたことがありました。
せっかく作るのだから綺麗な円の茶碗を作ろうと頑張って作ったのですが、出来上がったものを見比べると少し楕円だったり、角の立ったいびつな形になってしまったり、深いものもあれば浅いものもあったりと実に様々でした。
焼き上がり方も様々で、同じものが無いというのも焼物の面白いところなのでしょう。
茶碗造りは自ずと「なる様になった」ものの、中々頭の中で思った通りの形にはならないモノだなという事を実感しました。
考えてみれば、太陽系の地球やその他の星もみなまるです。三角や四角というものは人間の造形物であって、自然界にあるとしてもまれなことでしょう。人間の考えから生み出されたのが三角や四角の造形なのかもしれません。
人間の造形物は丸・三角・四角と多彩ですが、まわりをよく見回してみれば自然界では丸が基本で三角や四角のものはほとんど無いように思えます。
四角や三角も角が取れていけば丸になります。ごつごつした岩も川の流れで次第に角が取れて丸くなる。自然界ではことごとくまるであって、まるでないものも丸くなっていきます。
「角が立つ」という慣用句があります。
言動によって他人との間が穏やかでなくなる事を言いますが。
自己中心、自分本位の生き方は角があるからぶつかり合い、もめごとになるのだと思います。
何事もそのままに受け止めればなんということも無いのですが、人間は考えや思いを重ね、それにとらわれてしまい執着してしまえば、それが苦しみの原因となってしまいます。
本来の素直な自己の姿を離れて、身と口と心の行が調っていない、いびつな角が立った自己の姿に気づく事が出来なければ、周囲との関係性や頂いているご縁に苦しみ悩み抜かねばならなくなってしまいます。
私は坐禅をするとき、静かで浄らかな部屋で、身と口と心を調え、まるく、まるく、と坐る事を心がけます。
どのようなものでも、どんなことであっても、それをそのまま、ご縁のままに見たり聞いたりと頂けるのであれば、物事をありのままに受け取れるのです。
ところが、私達は一度悩み事にとらわれるとき、自分の考えや思いで見たり聞いたりしてしまうから、本当の受け止めができない。
それでは現実を見誤ってしまいます。
身と口と心が調った素直で円満な姿で受け止めることができれば、ことさらに悩み苦しむこともないのです。
つまり四角や三角も角が取れればやがて丸くなってゆくように、そういう角の立たない受け止めができるよう自己を調えれば、心静かな生き方や、穏やかな人間関係を保つことができるのではないでしょうか。
皆さんもこころがけてみてください、まるを