奪わず与える心

暑かった夏もようやく終わり、少しずつ涼しくなってきました。本日は仏教の戒律の一つ「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」という教えについて皆様と一緒に考えてみたいと思います。

この「不偸盗戒」簡単に意味を申し上げますと。「盗んではいけませんよ」ということです。ただし仏教では単に「人の物を勝手に取ってはいけない」という意味だけではありません。もっと広く、「人の大切のものを奪わない」ということです。

「人の大切のものを盗む」ということは、実体のあるものを奪うことだけではありません。「時間」、「心」といった目には見えないモノを奪うことも含まれます。

では、私たちの日常にある「目には見えない盗み」とはどういったものがあるのでしょうか。

【時間を奪うこと】

相手の時間を奪うことも「目には見えない盗み」の一つといえるでしょう。私達の命には限りがあり、その限りある時間の中を生きています。その貴重な時間を奪うことは、その人の命の一部を奪うこととおなじなのです。

【心を奪うこと】

心を奪うとはどんなことでしょうか。

例えば悪口、陰口はどうでしょうか。それらを言われた人は安心して過ごす心を奪われてしまいます。

相手の心の安楽を奪うこともまた盗みであるといえましょう。

【自然から奪うこと】

私たちは毎日たくさんの命を頂いて生きております。肉、魚は当然命を頂いております。米、野菜、それらは自然の恵みから頂いております。

食べ物を粗末にすることは、田畑で働いた人の努力も、太陽や雨の恵みも、自然の営みも全て無駄にしてしまいます。これらは命の盗みにつながります。

しかしながら、こういった「盗み」を犯したことが無い人はきっと存在しません。

そして、これらの「盗み」を犯す人は日常的にかつ無意識で行っている場合が多く本人も気づいてないのが問題です。

ではその問題をどう解決するか。大本山総持寺を開かれた瑩山禅師様は「必ず和合和睦の思いを生ずべし」とお示しされました。

私達は単に奪わないだけではなく、逆に「与える」ことを心がけて生きていきたいものです。

約束の時間を守ることは「安心」を与えることです。

相手の話をよく聞くことは「心の居場所」を与えることです。

日常のささやかな思いやりは「生きる力」を与えることにつながります。

不偸盗戒の本質は、奪うことを止めるだけではなく、与え合い、支えあう生き方をすすめるところにあります。

お金や物だけではなく、時間や心を大切にすること。これが不偸盗戒の実践だ

といえましょう。和合調和を乱すのは何時の世も人間の貪りの心なのです。

「盗まない」生き方から、「与える」生き方へ。そのように日々を重ねていくことがお釈迦様の教えを実践することであり、私達自身が安心して支えあって生きる道であります。