日常の一歩
突然ですが、坐禅をご存知でしょうか。坐禅は、私たち僧侶の大切な修行の一つです。坐禅と聞くと黙々と坐り続けて、パチーンと棒で背中を叩かれる。そのようなイメージを連想されるかもしれません。しかし実は、坐るだけが坐禅ではないのです。大本山總持寺をお開きになられた瑩山禅師はこのようにお示しです。坐禅と向き合う上で「身の回りの清潔を保つこと」「仏様を大切にすること」「常に感謝の心を持つこと」と。日常生活や心構え、全てが坐禅に通じると教えてくれます。
曹洞宗の修行は、坐禅が基本です。朝早くに起きて坐禅、夜眠る前にも坐禅。坐禅をしていない時も坐禅の如く真っすぐな姿勢を心掛けます。掃除一つにしてもそうです。隅々まで綺麗にします。「えっ、そんな所まで」と驚く程の徹底ぶり。見えない所こそ丁寧に。いかなる時も不潔を放置しません。清潔を心掛ければ、自分の身も心も清らかに生活を送れます。また仏様には、真心で向き合います。綺麗なお花を手向け、お線香を真っ直ぐに立てる。お膳は丁寧に真っすぐ供える。そして心静かに手を合わせます。そのような生活を心掛けていると、少しの乱れが気になってくるものです。靴が揃っていないこと、扉の開け閉めが乱暴なこと、お線香が傾いていること。些細な事でも真っ直ぐでないと落ち着きません。自然と日常が丁寧な生活へと変わります。丁寧に物事と向き合えば、それまでにない発見が表れます。何気なく過ごしていた場所こそ光り輝いていることに気付かされます。それがそのまま感謝となって自分の心を包むのです。以上、私自身が修行を通して学んだことでした。
坐禅とは、背筋を伸ばして静かに坐ること。坐る以外にも瑩山禅師がお示しのように日常の全てを真っすぐに心掛けることの尊さ。坐禅と日常を切り離しません。心は身となって表れ、身によって心が育まれます。正しい姿勢、正しい習慣が生活を整えてくれます。現代は、大変便利な世の中になりました。しかし一つ一つ、丁寧に向き合ってこそ人生に豊かさが生まれます。楽な道だけが全てではありません。不自由な時こそ一歩一歩を大切にするのです。そして、その一歩に感謝の心を忘れません。いかなる時も道を輝かすのは自分次第。私は、坐禅の生活からそのように教えてもらっています。
もし坐禅の経験がない場合、お寺の坐禅会に参加されてください。まずは、坐禅の時間からご自身で感じ取っていただけるとよろしいです。いつでもやすらぎの道は広がっています。

