任にあたりて
皆さんはお寺の法要と聞くとどのようなものを思い浮かべるでしょうか?今回は、「首座法戦式」という法要についてお話させていただきます。
お寺に新しい住職を迎える「晋山結制」という行持の中で、「首座」と呼ばれる修行僧の一番弟子が、住職に代わり他の修行僧たちと激しい禅問答を繰り広げるという法要です。
私がご縁を頂いたお寺でも、この度、新しく御住職様をお迎えいたしまして、そこで私は首座の役を務めさせていただく機会をいただきました。
法戦式での沢山の禅問答を覚えるなど、何か月も前から本番に向けての稽古を始めるのですが、なかなか上手くいかないことも多々ありました。その様に上手くいかない事が続いてしまうと、人間というものは高い志を保ち続けられるものでもなく、私もつい粗相をしてしまったり、修練が疎かになってしまい、先輩方に沢山の御指導を頂いているうちに、首座の務めを投げ出したくなる時もありました。
そんな折、覚える問答の内容の中にあった「任に当たって他に譲りがたし」という言葉が私の目に留まりました。
意味を調べてみると、曹洞宗を日本に伝えられた道元禅師が、中国は宋の国に修行へ渡られた際の話に辿り着きました。
道元禅師は、旅の途中の港や修行先のお寺で、「典座」という修行僧の食事や身の回りの世話をするお役を務める、二人の老僧方に出逢われます。
修行僧達の食事の為、老体を押して買い出しに遠方まで足を運んだり、炎天下の日差しのなか、食事の下拵えに精をだしたりと、自ら進んで雑事に励む老僧方をご覧になった道元禅師は『そんなことは他の人に任せればよいではないですか』と問いかけます。
しかし、道元禅師は御老僧方に『他は是吾にあらず(他の人がやったのでは自分の修行になりませんよ)』、『何を以ってか他に譲るべけんや(これは自分の修行なので他人に譲ることなんてできませんよ)』と夫々に諭されてしまいます。
これらの言葉に、道元禅師は深く感銘をうけ、その後、修行というものを根本的に捉え直すきっかけとなったという事を知りました。
この「任に当たって他に譲りがたし」という言葉に背中を押されたこともあり、私も、至らないところは多々あれど、なんとか首座のお役を務めあげ、無事、行持を円成することができました。
さて、私達は日々の生活を過ごしてゆく中で、どうしても「気が進まないな、やりたくないな」と思うことが、少なからずでてくるものだと思います。
そんな時こそ、この『任にあたって他に譲りがたし』という言葉を思い出し、一つ一つの物事に向き合って、丁寧に取り組めればと私は思うのです。

