『ため息』は、無意識バランス
はあぁ~~
『ため息』を吐く機会が増えました。
世間がコロナ禍になったことで『ため息』が増えました。
コロナだけではなく、生きていれば、生活していれば、
思い通りにならないことは多々ありまして、
思い通りにならない状況、現実に立ちふさがる壁が現れるたびに、
『ため息』を、はぁ~~、と吐くことがあります。
私は令和2年7月に発生した災害「熊本県球磨川流域豪雨災害」で、
地元の球磨村が被災し、本格的な『ため息』が増えました。
現在の地元は災害前に比べて世帯数が3分の1になり、
村の賑わいが、ぷつりと消えました。
被災地でやり場のない気持ちを吐き出す『ため息』。
気づくと吐いている『ため息』。
この『ため息』が穏やかな呼吸に変われば、
更には、お釈迦様が実践されていた『坐禅の呼吸』に
変容(へんよう)することができればいいのに。。。
と自分を省みました。
そんな矢先に、ふと「ため息だろうと呼吸の一つばい!」
と頭によぎりました。
『無意識のため息』から翻って、
お釈迦様の『坐禅の呼吸』を捉え直してみました。
坐禅の呼吸の導入として『調息(ちょうそく)』と言う言葉があります。
「息を調える」と書いて『調息(ちょうそく)』です。
私は個人的に
「調息の極意は、息を吐き出しきること、息を全て吐き切ること」にある! と捉えています。
呼吸のイメージとしては、体内の空気を全て吐き出しきるイメージです。
自分の体内の空気を吐き切ることができれば、
必要な分だけ空気を吸うことができます。
そして、深く体内に空気を取り入れることができれば、
より長く、より細く、吐くことができます。
一息(ひといき)吐いて、一息(ひといき)吸って、を繰り返します。
回数はたった3回です。
このたった3回の呼吸に全集中し、息を整える呼吸を静かに観つめることで、
穏やかな心持ちになり、「今・ここにいる自分の在りかた」を
とらえなおすことができます。
『ため息』とは文字通り、「貯めていた息」です。
知らず知らず、貯めていた息を無意識に吐き出すこと、
知ってか知らずか、内に秘めていた想いや気持ちを無意識に吐き出す呼吸。
つまり、『ため息』自体が無意識の呼吸であり、無意識の生理現象です。
無意識に「ココロとカラダとアタマのバランス」をとってくれているんです。
そう考えてみれば、『ため息』とて! 大切なバランスのひとつとなります。
ぜひ自分自身の『ため息』に気づいて、観つめてください。
はぁあぁ~~