『面倒な事が大切』

私はつい口癖で、「面倒くさいなー」と言ってしまう事があります。
特に自宅の草刈り、掃除、事務仕事、それに加えて
子供の躾けに関しては、特に声が出てしまいます。
なので、私のお寺の掲示板に「今できる、小さな面倒なことが、大切」
と自分に言い聞かせるつもりで書いて貼りました。

それでも人と話していると「ほんとにめんどくさい…」とついつい声に出てしまい、
あ、イケナイイケナイと言いきかせる自分がいます。
特に雨の多いこの時期、皆様もそんな気持ちになることがあるのではないでしょうか。

夕食の最中に三才の娘が「ねえねえ、お皿洗いするー」と言ってきます。
「今ご飯食べてるから後でね!」と言っても聞かないので、誰かが付き合います。
結構上手にします。皿洗いが終わったら「次はお掃除するー」と言ってきてくれる事もあります。
大人の一番くつろげる時間なので、「ハイハイまたあとでね!」と言って
断ってしまうことがあります。
こんなに、子供の純粋な気持ちと行いで、有難く、清らかなことはないのに、
今はやりたくない、ゆっくりしたい、面倒くさいと思う気持ちが出てしまいます。

自宅の勝手口はなかなか靴が揃いません。子供達が、「ただいまー!」と元気よく
帰ってきてくれるのはうれしいのですが、靴を脱ぎ散らかして上がります。
小さい時から注意しているのですが、中々直りません。時に叱りながら、
頭にきて全部履物を外に放り出したこともあります。…結局は自分で拾いに行き整えました。
そして今も毎日靴を揃えています。大人がしっかり後姿を見せていないのが原因です。
ある日、普段揃えようとしない子が、頼まれたのか、
叱られたのか、綺麗に揃えて掃き掃除までしていました。
なんだか心がスーッとしました。するとしばらくして、今度は茶の間が綺麗になっていました。
綺麗になった玄関を見た誰かが整えたみたいです。
すると今度は台所がいつもより綺麗になっていました。とても気持ちがいいです。
普段、面倒だと思うことは、なくてはならない、
とても大切な行いで、全てが繋がっているのだなと思いました。

永平寺に上山した時、「ここでは無駄な行いは何もない」と教えていただいた事を思い返します。
人はそれぞれ、様々な生活の形があり、苦しみもあります。
大変なことは必ずといっていいほど重なるものです。
しかし、全部一度に出来ることなどなく、結局は一つずつ、一つずつの積み重ねのように思います。
手につかなかったら、まず何処か一か所でいいから掃除をして整えてみる。
するとスッと心が少し軽くなるように思います。面倒だと思ったり、声に出してしまう事は、
解決すると、とても気持ちがいいものです。
小さな見落としがちな事こそ、良い御縁を繋ぐ大切な行いなのだと思います。

御仏のお姿 座禅は、姿勢を整え、呼吸を整え、そして心が静かに整います。
そのお姿は坐るときだけでなく、日常の何気ない行いの中にも現れます。御仏とは誰なのでしょう。

気が滅入ってやる気が出ないとき、寝っ転がったあとにでも、一つ何かを整えてみてはいかがでしょうか?
雲が流れ、少し晴れ間が見えるかもしれません。私も一つ一つ整えていきたいと思います。