「ごちそうさま」

「ごちそうさま」この言葉は食事の際の大切な挨拶です。
昨今、新型コロナウイルス感染症の影響で、食事をとる際の会話を
控えましょうという「黙食」が広がりました。
こうした状況の中、「いただきます」「ごちそうさま」
という挨拶さえも言わなくなったという方も少なくないのではないでしょうか。

「ごちそうさま」の言葉はその昔、今のように簡単に食材を手に入れることができず、
遠くまで足を運んだり、時には食事の時間に間に合うように
走って調達しなくてはなりませんでした。
食べてもらう相手のことを想い、一生懸命、心をつくしてくれた食事はとても美味しく、
その気持ちはありがたいと思うものです。
又、食材一つ一つみても形になるまでは、作られる方々の大変なご苦労があります。
そうした方々のおかげであることを忘れてはなりません。
その様にしてまで、用意してくれることに対し感謝の意を込めて「ごちそうさま」と言いました。

7月になり、お寺の周りには田植えが終わった水田が広がっています。
お米作りをしているお宅にお参りで伺うと、安堵した表情で
「今年も1番大きな仕事が終わったよ。方丈さんのところは」とお話されます。
私もお米作りをしているので、お互いに無事に終わったのかが気になる所であります。
お米作りは、苗を水の張った田んぼに植えるという簡単な作業にも思えますが、
八十八の手間がかかると言われるように、大事に苗を育てながら、
田んぼを何度も耕し、苗の育ち具合をみて田植えをします。
植えてからも細やかなところに気をまわしながら作業を行い秋の収穫を祈ります。

私が米作りを始めた頃、何度か苗を枯らしてしまいその年の収穫が
半分以下になるという失敗を起こしたこともあり、
こんなにも大変なものなのかと思い知らされました。
そうして無事に収穫したお米を食べる喜びは一塩で、食べるということの難しさとその喜びに
ありがたいと思えるようになりました。

宗門においても、食事を頂く際に「五観の偈」という5つの偈文をお唱え致します。
その最初に「功の多少を計り彼の来処を量る」とあります。

「功の多少を計り彼の来処を量る」とは目の前にある食事がどのように出来たのかを考え、
多くの方々の働きによりこの食事ができあがるのである。
だからこそ、そうした方々への想いを馳せ感謝をします。というみ教えがございます。

食事の挨拶とは食材への「命」や「手間をかけてくれた方々」の想いに寄り添い、
感謝という気持ちでお返しする大切な言葉であります。
便利になり何でもすぐに手にはいる時代だからこそ、
自分の目には見えない方々の支えがあることで、
私たちは生きていくことができるのだと知ることが必要なのではないでしょうか。