心の運び方
私がテレフォン法話のお話をいただいた時
まず初めに思い浮かんだのは「考え過ぎだよ」と言う言葉でした。
この言葉は私が永平寺修行中に法話発表の時にとある老師にいただいた言葉です。
この言葉は法話作りに困っていた時にいただいた言葉ではなく、
法話発表が終わり各老師方に批評いただいた後にいただいたお言葉でした。
批評の7割くらいは褒めていただいて、
残り3割は修正点や改善点についてのお話だったのですが、
未熟な私はその修正点や改善点の指摘が気に食わず、
素直に受け取ることができず、苛立って心を乱していた時に
いつも親しくしていただいていた老師に相談したところ、いつも優しく笑顔で接してくださる老師がその時は真顔で「それは考え過ぎだよ」と声をかけてくださいました。
そして、その言葉だけでスッとその場を去って行かれました。
5年以上たちましたがそれは私にとってはとても心に残る言葉です。
とても短い誰もが言う簡単な言葉ですが、その時の私にはハッと気付かされる言葉でした。自分がいかに悪い方に囚われているのか、言い過ぎず、短い言葉で相手に気づかせ、不本意な事や心が乱れることがある時にいつもこの言葉を思い出します。
物事をする前は考えて行動することがいかに大事かは言うまでもありません。
ただ行動をした後人の評価を考え過ぎず、素直に修正点や改善点を聴き入れられるようになりました。
さらには行動を起こすことにも少し抵抗がなくなりました。
禅語に「莫妄想」という言葉があります。
肉体や心の欲望、未来への不安や過去への執着など、私たちの心を曇らせるのが「妄想」です。まさしく私は「妄想」に囚われていたのだと思います。老師は私に「莫妄想」と言ってくださったのだと合点がゆきました。
その他にもお釈迦さまは「一切皆苦」とお説きになっておられます。
世の中や人生は思い通りにならないという苦しみをお説きになっておられます。
その通りですが、私はそのあとは自分の考え方や心の運び方で
苦しみから救われると、囚われから抜け出せると思います。
それは私に対しての老師の言葉だったり、あるいは本だったり、歌だったり、
いろんな所に救いもまた世の中にあふれていると思います。
「考え過ぎだよ」
普段の生活の中でも
批判や嫌なことがありますが、
考え過ぎず、素直な心をもって、自分の良き場所に心を運ぶ力や救いの気づきを持って生きたいものです。
そして困っている、囚われている人には言い過ぎず、相手を救いに導く言葉をかけてあげたいものです。