”物”を供養する心

現代では科学が発達し、昔に比べるとたくさんの物が作れるようになり、生活は豊かになってまいりました。それに伴い、一つの物を大切に扱うという価値観は昔に比べると少し薄れているのではないでしょうか?本日は「物」の扱い方について、とても素晴らしいなと思うご供養がありますので、そちらを紹介させていただきます。私の曾祖母は裁縫を教える仕事をしておりました。あるとき曾祖母の書き残したものを見ておりますと、針供養と呼ばれる行事を執り行っていたことがわかり、 そのことがきっかけでそのご供養について知ることになりました。ご存じの方も多いかと思いますが、針供養とは、その名の通り縫い物などをする針を、ご供養する事です。 今よりも、ものを縫うという事が多かった時代。 裁縫に使い、曲がってしまった針や、錆びてしまった針など、役目を終えたその針をただ捨てるのではなく、生活を支えてくれた事に感謝をし、手厚くご供養をしていたのだそうです。その供養の仕方はとてもユニークで、どうぞお休み下さいという気持ちをこめて、 今まで色々な硬い生地を縫ってくれたその針たちを、豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺して休ませてあげるのだそうです。人や生き物にではなく、命を持たない針という物に対し、生活を支えてくれてありがとうという感謝や、曲がるまで働いてお疲れさまでしたという気持ちを送る。そして柔らかいものにさしてあげる。そのようなご供養があることを知り、その感性にどこかホッとするような温かい気持ちを覚えました。この針供養は物を縫うことに携わる方々や、昔からの風習が残る地域やお寺で現在でも執り行われています。
曹洞宗のお経の中にこのような一説があります。坐禅をすると、土やそこに生える植物やそのあたりに転がる石も、また、人の作った壁や瓦やこの世の形あるすべてのものが、仏の性質を持ったありがたいものだと気が付く。そう示されております。昔の人は針を使い一心に裁縫をする中で禅を実践したように心が純粋になり、針という物が尊い存在であると感じられ手厚い供養をすることにつながっていったのではないかと私は想像いたします。
物を大切にすることは環境を守る事にもつながります。針供養のようにたとえ壊れたものでもさいごまで粗末に扱わない心を持ちたいものですね。