花祭り

4月8日は花祭り。お釈迦さまの誕生日です。
降誕会、灌仏会など様々な呼び名がありますが。この時期は全国のお寺で誕生をお祝いする
法要が営まれます。
また白い象を模した背中にお釈迦様の仏像をのせて街中を歩いたり、お御堂に仏像を安置
し甘茶をかけてお祝いを致します。
私のお寺でも、檀信徒の方々と法要をつとめ、読経や御詠歌をお唱えしてお祝い致します。
先月も法要の為に、梅花講にてお釈迦様の誕生をお祝いする「釈尊花祭御和讃」を練習し
ました。
中には90歳を超え正座もできず背中が曲がった状態でも毎月の練習に足を運んでいただ
ける講員さんもおられます。
「方丈さん、もう年も重ねて声も出なくなったし作法もなかなかできないよ」とよく言われ
ます。
しかし、不思議なことにお唱えがはじまると背中はまっすぐのび、はっきりとした声でお唱
えされます。
先ほどの言葉は何だったのかと。どこにそんな力がでてくるのかと驚かされます。
別の日にあれだけしっかりとして、お唱えができるのはどうしてですかとお聞きしたこと
があります。
するとその方は「普段家ではほんとに声もでず練習も前ほどできないし、作法もあべこべで
分からなくなることもあるよ。でもね、お寺に行くとなぜか仏さんが守ってくれるようで、
それに周りの講員さんが一緒にお唱えしてくれて、普段以上の声がでるんだよ」と教えてく
れました。
お釈迦さまは縁起の法をお示し下さいました。
この世は何事もつながりの中で生きているものであります。
良いおこないをすれば、良い想いや良い結果につながります。

また、悪い行いをすれば心はすさみ、悪い結果を招きます。
思い通りにならない苦しみは何かといきついたのが縁起の法です。
一人で頑張ろうとしても、長続きせず力がつきてしまいます。
先ほどの方の様に、まわりの方の思いが自分では思ってもみない力を出します。と同時に周
りの講員さんもその方を想い励ましの言葉やフォローなどをしていました。
自分自身が尊いと同時に、同じくらい他人を尊いと思えるからこそ、こうした行動や思いに
いたれるのだと気づかされました。
改めてこの世は一人ではないのだと。
今月の法要で梅花講員さん達のお唱えを聞くのが楽しみでなりません。