どう在ってもいい

 

ようやく猛暑だった夏も過ぎ、過ごし易い季節になってきました。私の住んでいる地域では田んぼの稲刈りが終わり、週末になると朝日と共に飛び立つ熱気球を観ることが出来ます。私も載せて頂いたことがありますが、「飛ぶ」というより、「浮く」といった感じでとても楽しい体験でした。熱気球の動力は空気を温める

ガスバーナーのみで、上下の動きしか自力でできません。前後左右の動きは風任せです。風の向きは高さで変わるので、パイロットが風を読み、行きたい方向の風をつかまえて飛んでいきます。ただ、いつも同じ風が吹いているわけではありません。日によって違いますし、時間、場所によっても違います。そのせいで思った所には中々辿り着けません。進みたくても風が無ければ進むことは出来ず、留まりたくても風があれば留まることは出来ません。思い通りにならないところは人生みたいだなと思います。

それでも、毎年多くの熱気球が飛んでいきます。それはなぜでしょうか。

それは、思い通り飛べたらうれしいけど、思い通りに飛べなくてもそれはそれで楽しいと多くの人が感じているからではないでしょうか。結果に拘らず飛ぶこと自体を楽しんでいるのです。

お釈迦さまは苦しみの原因は執着であるとおっしゃいました。過度な拘りは苦しみを生むのです。折角、縁あって産まれてこられたこの人生、この命を楽しまなければもったいないです。

私が熱気球を観るたびに嬉しくなるのは「どう在ってもいい」と「そのままのあなたでもいい」と語り掛けてくれている様に感じるからかもしれません。