「相承」

皆さんは「相承」という言葉を聞いたことがございますか?「相承」とは相続の相に伝承の承で「相承」。伝え受け継ぐという意味の言葉です。曹洞宗の修行や教えは多くの歴代祖師方お一人お一人が長きに渡り、伝え受け継がれてきたものでございます。私の修行させて頂いた大本山總持寺では遠忌と申しまして、御開山の瑩山禅師様と二代目峨山禅師様、お二方の五十回忌以降、五十年ごとにご遺徳を称える大きな法要がございます。私が修行させて頂いた九年前がちょうど二代目峨山禅師様の六百五十回忌という五十年に一度の大きな節目の年でした。一年間に渡り数多くの方がお参りに来られ、様々な法要も執り行われる等大変忙しい年でありましたが、六百五十年という長い時を超えて受け継がれてきたものを改めて感じる貴重な修行時代でもございました。

大本山總持寺では百間廊下という非常に長い廊下がございます。毎日朝と昼の二回雑巾掛けを行いますが、今まで一度も欠かさずに行ってきた歴史がございます。とても長い廊下であり、猛スピードで行う雑巾掛けは当時二十代前半だった私も体力的に非常に大変で辛かった、そんな思い出がございます。修行中のある日、その長廊下をひたすら雑巾掛けしていましたら、「本当に綺麗だなぁ。」という声が聴こえて参りました。ふと立ち止まると、お参りに来られた際に通りがかった六十代くらいの男性の方がずっと長廊下を見つめておられたのです。普段はひたすら雑巾掛けすることに精いっぱいで、あまり気に留めなかったのですが、改めて長廊下を見てみますと、驚くほどにピカピカで綺麗であり感銘を受けました。これもその時代その時代の修行僧お一人お一人が一日も欠かすことなく今日まで長廊下を拭き続けた賜物であると改めて実感した次第です。そして私の雑巾掛けの行いも次の時代へと受け継がれていき、他の誰かの心を動かすものへとつながっていくかもしれない。そう思うと、ただただ辛かった長廊下の雑巾掛けも一生懸命、丁寧にという、そんな思いへと変わって参りました。

書家であり詩人でもある相田みつをさんの詩に『自分の番、いのちのバトン』という詩がございます。ここで読み上げさせて頂きます。「父と母で二人、父と母の両親で四人、そのまた両親で八人こうして数えてゆくと十代前で千二十四人、二十代前では?・・・なんと百万人を超すんです。過去無量のいのちのバトンを受け継いで、今ここに自分の番を生きている。それがあなたのいのちです。それが私のいのちです。」このような詩でございます。誰もが数多くのご先祖様お一人お一人から伝え受け継がれてきた命を頂いて今ここにいます。曹洞宗の修行や教え、そして百間廊下の雑巾掛けが長きに渡り受け継がれているように、私たちの命も「相承」伝え受け継がれているのです。その命を、今を一生懸命、大切に生きていきたいものです。今年は大本山總持寺御開山である瑩山禅師様の七百回忌という、五十年に一度のこれまた大きな節目の年でございます。私たちの行い、生き方が次の時代へと「相承」されていく。長きに渡り伝え受け継がれてきたものを感じ、感謝の気持ちで日々を丁寧に過ごして参りましょう。

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