法を拠り所とする生き方

今の時代、多様なる個性が認められる多様性を重んじる時代となってまいりました。

しかしこの多様性があまりにも多い故に生き方に戸惑いを感じてられる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。

そんな移り行く時代ではありますが、仏の教えの大切さは今も昔も変わる事はありません。

仏教には三帰戒というものがあります。

三帰戒とは南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧と言われる3つの戒律の事です。

その2つ目の南無帰依法について。

南無帰依法とは南無とは信じます従いますという意味で帰依とは心の拠り所とするという意味です。

法に対して帰依する、法とは仏の教えの事でございます。

しかし仏の教えといっても大きいものから小さいものまで沢山あります。

その全てを1つ残らず完璧に守っていくとなると極めて難しい、和尚である私も幾つかの教えを少しずつというのがせいぜいです。

しかし何か1つでも「これを守っている」というものを持っていたのであれば。

何か1つというのは例えば「朝から必ず仏壇にお参りをしている」とか「悪い事はしないようにしている」とか「困っている人がいたならば必ず声をかけてみる」など。

「これに関しては絶対に守っているんだ」というものを1つ持っていたならば、その1つがある事によって自信を持って今を生きている、今日も1日この法を守る事が出来ました「ありがたや、ありがたや」これが南無帰依法でございます。

私がお参りさせて頂いてるあるお檀家さん、仮の名を田中さんとします。

ある日この田中さんが私に対して「私は毎朝お参りをしているのだけれども何かお経を読みたい、しかし般若心経は長すぎて体力的にもしんどいのでもっと短いお経はありませんか」と言ってきました。

それに対して私は「ああ、いいのありますよ、ちょっと待っとってくださいね」と言い田中さん宅から飛び出し手元にあった教本を持って近くのコンビニに駆け込みコピー機で舎利礼文というお経を拡大印刷して更に「南無釈迦牟尼仏(3回読む)と書き足して」また田中さん、宅に戻ってきました。

「これは舎利礼文というお経です、自分の読みやすいペースで1回読んだ後に南無釈迦牟尼仏と3回唱えるとよろしいです」と説明して渡しました。

それから月日が経ってたまたま田中さん宅の近くに用事があったのでそこを通りかかると田中さんから「ちょっと和尚さん」と呼び止められます。

「あれから毎朝仏壇にお参りする時にお唱えしてるんですよ。読み終わった後何だかスッキリするんですよね」

と嬉しそうに語る田中さんの表情と笑顔には自信が伺えます。

これは必ず仏壇にお参りをし、お経を唱える事を続けている事によって生まれた自信ではないでしょうか。

多様性の時代となった今においても仏の教えの大切さに変わりはないという事でございます。

法を拠り所とする信仰心から生きる自信が湧いてまいります。その生きる自信から更に強い信仰心が生まれるのであります。

まずは何か1つ、買い物で募金箱を見つけたならば小額でも寄付してみよう、玄関の靴が乱れていたなら自分が並べようなど簡単な事でよろしいです。

「自分はこれを守れる」を持って生きる事をおすすめします。