「思いやり」

今回は思いやりについて少しお話しさせて頂きたいと思います。
皆様は普段の生活の中で周囲の方々に思いやりを持ってすごせていますでしょうか。
私達は他人を思いやり、感謝するということを忘れがちです。
特に、自分自身に余裕が無くなってしまうと、つい忘れてしまいます。
自身が苦しい中、周囲に対して思いやりを持ち続けるということはとても難しい事です。

自分のことしか考えてない時は、人のあらを探したり、
逆に自分のいたらなさばかりが見えたりと、常に苦しみが続きます。

先日、お檀家さんのご葬儀を務めさせて頂いたのですが、その方は、長い闘病生活を送られ、
体の痛みが取れず大変な苦しみの中で最後を迎えられたということを伺いました。
ところがそうした苦しみの中にあっても、ご自身は周囲への思いやりの気持ちを忘れず、
いつも感謝の言葉を口にしていたと伺い、大変感銘を受けました。

故人は、精神的にも肉体的にも追い詰められていたと思います。
しかし、故人が周囲の方々に感謝の気持ちを伝える事ができたのは、
病気になる前からどんなに疲れていても不平不満を言わず、感謝を忘れず、
周囲の方に対して思いやりを持って接するという日々の積み重ねがあったからです。
その思いやりによって周りの方々が救われ、故人もまた救われていたのです。

修証義というお経の中に、実践することで人々を様々な苦しみから救済するための行いである
「布施・愛語・利行・同事」の四つの教えが記されております。
これは私たちが日常で行う修行であり、菩薩の生き方でもあります。

「布施」とは貪りを離れ、分かち合うこと。

「愛語」とは思いやりの気持ちを持ち、慈しみの心で接すること。

「利行」とは身分や立場にかかわらず、困っている人を助け、人のためになる行いをすること。

「同事」とは、相手の立場になって考えるということです。

故人が示された生き方はまさにこの布施・愛語・利行・同事の行いだったのではないでしょうか。
ご自身が病気で苦しい中でも、ご家族への思いやりを忘れず、
言葉や態度によってその心を示されたのです。それによりご家族の皆さまも救われた事でしょう。
しかし実は、周囲の方々がその気持ちを受け取られたことで、
故人もまた怒り苦しむ世界から救われていたのです。
そうして人のためにお互いに思いやりを持って生きていくことで自らも救われていくのです。

皆様もご自身の周りに思いやりや感謝の心を持つことによって、
今よりもっと安らかな気持ちで毎日を送ることが出来るのではないでしょうか。