「悪口はやまびこのよう」

いさかいは

     げに山彦の  こだまかや 

        わが口ゆえに 向こうやかまし

 

江戸時代の頃、東京 新宿にあるお寺の住職を務めていた貞鈞和尚と言う方のお話です。

この頃の新宿は江戸のはずれで、小さな長屋が建ち並ぶ町でした。
ある日、貞鈞和尚は所用があって、町にでます。
すると、駄菓子屋の前に黒山の人だかりできています。
何事かと思い近寄るとどうやら、夫婦げんかの様子。
見物人をかき分けて、貞鈞和尚が止めに入りますがいっこうに効目がない。

喧嘩もエスカレートしていき、掛け合う声が大きくなる。双方とも目が血走って参ります。
売り言葉に買い言葉。言葉も徐々に荒々しくなってきます。
しまいにはドスのきいた声で「ぶっ殺してやる」と物騒なことを言い出す亭主。
慌てて貞鈞和尚が諫めますが亭主は
「和尚様、今日という今日は我慢ならない。今日こそ、このカカアを叩き殺してやる!」
と怒鳴る。女房も負けじと
「さあ、やるんだったら、やってみやがれ」
とすごみます。
夫婦げんかは犬も食わぬと言いますが犬も逃げ出すような殺気立ったはげしい夫婦げんか。
あきれた貞鈞和尚は「じゃ、勝手にするがいい」と言うと店に入り、
売り物の駄菓子を手に取ると、外にばらまき始めました。
おどろいだ夫婦は「和尚様、何をしているのですか」と尋ねます。
夫婦の問いかけを気にも留めない貞鈞和尚。
「さあ、さあ、子供達よ。遠慮なく拾いなさい。」と尚も駄菓子を、ばらまき続けます。 それを喜び、拾う子供達。
「 そんなことされたら、困ります。商売上がったりですよ。 」と喧嘩そっちのけで、
急いで道にばらまかれた駄菓子を拾い始める夫婦。

駄菓子をかき集める夫婦に和尚は
「なにをするんだ。どうせ、女房は殺されて死ぬんだ。殺した亭主も捕まって死刑になるんだ。
そうすると商売もできず、駄菓子も無駄になる。
それなら、死後の為に駄菓子を子供達に振る舞って今のうちに少しでも善い行いをし、功徳を積んでおけ。」と言い放ちます。

この言葉に二人はふくれっ面をしながら、落ちたお菓子を拾います。
いつの間にか夫婦げんかも収まったと言う貞鈞和尚のとんちが利いたお話。

「 いさかいは げに山彦(やまびこ)の こだまかや

わが口ゆえに 向(む)こうやかまし 」

 

と言う昔の歌があります。

諍いや喧嘩は、相手を悪く言い、謗る言葉や態度から始まります。
相手を謗る言葉や、態度は、まるで山彦のように後から跳ね返ってきます。
困ったことに更に反響し、増幅して、益々、大きくなります。

曹洞宗の開祖 道元禅師も
「説(と)くなかれ 人の長(ちょう)と短(たん)を。 説(と)ききり去(さ)って自(みずから)ら禍(わざわい)を招(まね)く。
もし、よく口(くち)を閉(と)じて深(ふか)く舌を蔵(ぞう)せば、即(すなわ)ち、これ安心(あんしん)第一(だいいち)の方也」と説かれております。

夫婦関係に限らず、人間関係がこじれるのは他人 相手を軽んじる心 そこから生まれる言動が原因です。
貞鈞和尚のようにとんちを利かせて仲裁してくれる人がいればよいのですが、
肝心なのは日頃から、言葉と行いをつつしみ、禍の種を蒔かぬように用心しなくてはいけません。