「坐禅のススメ」

曹洞宗大本山永平寺をお開きになられた道元禅師様は、このようなお言葉をお示しです。「身心を調え、以て仏道に入るなり」。修行を行うには、まず身と心を調えましょう。という教えです。曹洞宗において身と心を調えるとは、つまり坐禅を行うことであります。坐禅とは、姿勢を正して足を組み、心に想いを巡らさず、静かに坐り続けるもの。正しい坐禅の姿は、真っ直ぐです。そのような姿勢が修行でも大切になってきます。

普段の私達は、つい損得勘定に立って物事をみてしまいがちです。相手より立派に思われたいから。もっと幸せになりたいから。と、自分の思いを膨らませては、選り好みをしてしまう。時には、その思いが力になることもありますが。しかし、その思いが正しい方向でなければ、物事への執着や差別へと繋がりかねません。もし、願いが叶わない。または、裏切られるとなれば。悩み苦しみとして自分に襲いかかってくるのです。そうならないためにまずは、偏った認識をしてしまう自分の色眼鏡を外すしかございません。その色眼鏡を外すために坐禅が肝要となるのです。

道元禅師様の教えは、坐禅によって自己中心的な自分から離れ、捕らわれのない心、即ち真心で道を歩むことの大切さをお示しであります。そのため曹洞宗の僧侶は、朝起きると坐禅をします。身を真っ直ぐに。心を左右に動ぜず。ただひたすら「今」に徹する。その姿勢を生活にも表せるよう精進するのです。

もちろん、修行に限ることではございません。私達が生きる社会は、世間の決まりや、組織のルール、インターネットやSNSなど、まるで窮屈な網目のように張り巡らされています。その細かい網目をしっかりと通り抜けるには、正しい物の見方。一歩を踏み出す勇気。前に進む努力が必要になるかと思います。そこで道元禅師様のお言葉「身心を調え、以て仏道に入るなり」。何事も真っ直ぐに。信念を持って取り組み。よこしまな思いに振り回されないことでございます。坐禅の時間がそんな捕らわれのない自分を表してくれます。最後になりますが。過ぎ去った日々は、もう戻ってきません。明日への保証は、どこにもございません。ただ私達に出来ることは、与えられた「今」を大事に見つめ、清らかな心を忘れず、一歩一歩、丁寧に道を歩んでいくことではないかと。それが仏様に続くやすらかな道。仏道ではないかと思います。

もし、坐禅に興味がありましたらお近くの坐禅会に参加をしてみてください。実際に体験をして頂けると幸いです。体を真っ直ぐに。心を真っ直ぐに。南無釈迦牟尼仏。